にきび 治し方の草分け
日本では、バイオテクノロジーが大学と産業界の研究に組み込まれはしたものの、伝統的な研究体制を変えることはなかった。
ベンチャー企業や民間の支援による新しいタイプの研究所を設立する動きも、ほとんど皆無である。
日本でなぜ、新しい研究の流れに対応できるような体制ができていないのか。 これには大学や企業の研究体質が深く関係する。
問題の1つは、日本における従来の「講座」中心の単位にある。 な学問分野の創設に関与するとともに、21世紀のリーディング産業を推進する役割を果たすはずである。
Sf大学のA・c博士は、研究にとって最も大切な要素として「人間」をあげる。 大学が競争の激しい研究環境の中で活力を維持し続けるためには、当然のことに、国の内外から優れた教授陣、ポスドク(大学院を卒業してすぐの博士号取得研究員で、正式にはポストドクトラル・フェロー)、大学院生を迎えなければならない。
しかし、日本はこれまで国立大学を中心に、教授が統轄する講座を単位として教育・研究を進めてきており、この制度では、研究の要素としての人的資源を十分に評価できないのである。 講座制は、人的な流動性を欠いた終身雇用のタテ型社会であり、講座どうしは互いに不可侵平等という官僚的特徴を色濃く備えている。
独創的な研究能力と、官吏としての能力は次元の異なる能力であって、講座制のもとでは、教授をはじめとする研究スタッフは行政官吏の職階制に縛られる。 ライフサイエンスの振興にとって、優れた研究者が集まり、その切嵯琢磨を通じて新たな発見がなされる「場」が不可欠である。
すなわち、既存の学問分野や国境を越えて優秀な研究者が集オープンな先端医学研究システムの構築を国立大学に共通する問題として、研究者や研究支援者を新たに採用することが困難であり、若手研究者が独立の研究を展開する機会が欠如し、魅力的なポスドク制度が欠如していること等があげられる。 講座制の論理は大学だけでなく大企業における研究開発体制にも広く及んでいる。
講座制を軸とする研究システムは、科学技術を速やかに摂取し、かつ独自に消化・加工する上では確かに有効であった。 しかし目的や研究の進め方が違えば障害になるのだ。
ここで注意すべきことは、ライフサイエンスの成長と開花に必要な土壌とは、従来の理工学技術を軸に整備されてきた教育研究の土壌とは著しく性質を異にするという点である。 現代の生命科学は諸科学が融合した学際的性格を持ち、さまざまな分野の研究者の自由な交流こそが、その成長を促す大気や栄養となる。
研究者の流動性を欠く行政組織型の講座制は、先端的な生命科学の発展を担う主体としては歴史的使命を終えたといってよい。 つまり、新たな課題に挑戦して創造性を競い合う「開かれた国際競技場」が必要である。
自由と挑戦、すなわちチャンスを与えられることはまた、その成果に対する客観的評価と自己責任を伴う。 新たな分野を開拓する次世代の若手研究者は、こうした環境において育てられるべきである。
また、その開発にはリスクを伴う次世代の産業も、このような研究環境と連携したときにその創造の芽を伸ばすことができるであろう。 このように考えると、行政組織として確立した講座制の枠組みの中の改革では、21世紀のライフサイエンス、またそれに基づく産業を育成することができないのは明白である。
もちろん在来型の研究体制が担うべき役割は依然としてあるので、これと並行するかたちで、より自由度の高い新たな研究システムを立ち上げなければならない。 大学病院の研究システムは、行政型の講座に加えて、医師の同業者(ギルド)組織としての色彩を持つ医局が重なっており、部外者には理解しにくい構造となっている。
大学の医局は、日本特有の現象である学生教育、医師の研修および医学研究の場として、総合百貨店的な機能を果たしている。 医局講座制を基盤とする現在の医学研究システムは閉鎖的で、医学博士でない博士号取得研究者(ここでは以下、理学博士号をもつ研究者で代表させる)が参加するのは困難である。
バイオテクノロジーの発展を振り返ると、個人の知的活動こそが発見の原動力であり、学際的環境の中で研究者の個性が発揮されることが重要であることがわかる。 今後、医学が科学として発展するためには、医学部と他学部出身者との共同研究が不可欠であり、また臨床研修についても、大学病院にとらわれずに第1線の病院で行えるシステムを整備し、大学病院の負担を軽減するべきであろう。
さらに、医局講座から臨床研究を分離し、臨床研究センターのように医学博士と理学博士が対等の立場で共同研究できる場をつくるなど、旧来の慣行に制約されず、先端分野に挑戦しうるシステムを大学の内外につくることが必要である。 日本の製薬企業には医学部出身者は皆無に近いが、今後は、医師も狭い殻から抜け出し、創薬、食品、情報産業などの新たな場で活躍することも必要である。
先端治療開発システムや創薬リサーチセンターなど、国民福祉の立場から、科学性と倫理性に基づき、医学博士と理学博士が対等にオープンな環境で先端医学に挑戦する場を築かねばならない。 選択の複線化と産学連携による先端研究ハイウェイいま緊急に必要なのは、このような従来型と新しい独立型システムの「複線化」である。
多様な選択を可能にする体制をつくることは何も生命科学に限られない。 個人の自由な発想と行動を基礎に置いた、より開放的な社会に移行することが、21世紀に日本が国際社会で活躍するための条件である。
そのためには、民(産業界、市民)、官(官僚、政治)、大学を含めたグランドデザインが必要であり、そのことは広く認識されつつある。 日本社会の最も深刻な問題は、この当然のことが容易には実現できない点である。
その一因として、指導的役割を果たす現在のリーダーが、自己の権限を失う可能性を恐れ、改革をためらうことがあげられる。 しかしその懸念は杷憂である。
いま問われていることは、現体制を破壊することではなく、規制の撤廃による複線化により、教授などこれまでの研究を担ってきた人々へのサポートと、未来を担う若手研究者の責任ある独立を同時に推進し、新たな研究環境に速やかに適応することである。 カギは、在来型を支持する人々が各分野において別のやり方、すなわち「新幹線」型で進む人の自由な選択を許すことである。
既存のリーダーは、勇気をもって自己の目先の利害を離れ、規制外で新たな試みをする個人の自由を認める必要がある。 在来線と新幹線が一定期間併存して競争すれば、その特徴と優劣は明確になり、人々はそのいずれかを選ぶことができる。
遺伝子工学のノーベル賞学者であるSf大学のP・b博士は、在来線とともに新たな新幹線を建設する方式を、革命(レボリューション)ではなく進化(エボリューション)のアプローチと呼び、学術研究で日本が国際化するために、速やかに適切な方策を取ることを呼びかけている。 これはまた、国際規格に見合う世界の研究者に開かれた場である。
もう1つの具体的な提案は、学術研究の「フリーゾーン」をつくることである。 これは、大学と企業のちょうど境界部分にあたる研究テーマを、両者の共同で進める「場」のことである。
日本でなぜ、新しい研究の流れに対応できるような体制ができていないのか。 これには大学や企業の研究体質が深く関係する。
問題の1つは、日本における従来の「講座」中心の単位にある。 な学問分野の創設に関与するとともに、21世紀のリーディング産業を推進する役割を果たすはずである。
Sf大学のA・c博士は、研究にとって最も大切な要素として「人間」をあげる。 大学が競争の激しい研究環境の中で活力を維持し続けるためには、当然のことに、国の内外から優れた教授陣、ポスドク(大学院を卒業してすぐの博士号取得研究員で、正式にはポストドクトラル・フェロー)、大学院生を迎えなければならない。
しかし、日本はこれまで国立大学を中心に、教授が統轄する講座を単位として教育・研究を進めてきており、この制度では、研究の要素としての人的資源を十分に評価できないのである。 講座制は、人的な流動性を欠いた終身雇用のタテ型社会であり、講座どうしは互いに不可侵平等という官僚的特徴を色濃く備えている。
独創的な研究能力と、官吏としての能力は次元の異なる能力であって、講座制のもとでは、教授をはじめとする研究スタッフは行政官吏の職階制に縛られる。 ライフサイエンスの振興にとって、優れた研究者が集まり、その切嵯琢磨を通じて新たな発見がなされる「場」が不可欠である。
すなわち、既存の学問分野や国境を越えて優秀な研究者が集オープンな先端医学研究システムの構築を国立大学に共通する問題として、研究者や研究支援者を新たに採用することが困難であり、若手研究者が独立の研究を展開する機会が欠如し、魅力的なポスドク制度が欠如していること等があげられる。 講座制の論理は大学だけでなく大企業における研究開発体制にも広く及んでいる。
講座制を軸とする研究システムは、科学技術を速やかに摂取し、かつ独自に消化・加工する上では確かに有効であった。 しかし目的や研究の進め方が違えば障害になるのだ。
ここで注意すべきことは、ライフサイエンスの成長と開花に必要な土壌とは、従来の理工学技術を軸に整備されてきた教育研究の土壌とは著しく性質を異にするという点である。 現代の生命科学は諸科学が融合した学際的性格を持ち、さまざまな分野の研究者の自由な交流こそが、その成長を促す大気や栄養となる。
研究者の流動性を欠く行政組織型の講座制は、先端的な生命科学の発展を担う主体としては歴史的使命を終えたといってよい。 つまり、新たな課題に挑戦して創造性を競い合う「開かれた国際競技場」が必要である。
自由と挑戦、すなわちチャンスを与えられることはまた、その成果に対する客観的評価と自己責任を伴う。 新たな分野を開拓する次世代の若手研究者は、こうした環境において育てられるべきである。
また、その開発にはリスクを伴う次世代の産業も、このような研究環境と連携したときにその創造の芽を伸ばすことができるであろう。 このように考えると、行政組織として確立した講座制の枠組みの中の改革では、21世紀のライフサイエンス、またそれに基づく産業を育成することができないのは明白である。
もちろん在来型の研究体制が担うべき役割は依然としてあるので、これと並行するかたちで、より自由度の高い新たな研究システムを立ち上げなければならない。 大学病院の研究システムは、行政型の講座に加えて、医師の同業者(ギルド)組織としての色彩を持つ医局が重なっており、部外者には理解しにくい構造となっている。
大学の医局は、日本特有の現象である学生教育、医師の研修および医学研究の場として、総合百貨店的な機能を果たしている。 医局講座制を基盤とする現在の医学研究システムは閉鎖的で、医学博士でない博士号取得研究者(ここでは以下、理学博士号をもつ研究者で代表させる)が参加するのは困難である。
バイオテクノロジーの発展を振り返ると、個人の知的活動こそが発見の原動力であり、学際的環境の中で研究者の個性が発揮されることが重要であることがわかる。 今後、医学が科学として発展するためには、医学部と他学部出身者との共同研究が不可欠であり、また臨床研修についても、大学病院にとらわれずに第1線の病院で行えるシステムを整備し、大学病院の負担を軽減するべきであろう。
さらに、医局講座から臨床研究を分離し、臨床研究センターのように医学博士と理学博士が対等の立場で共同研究できる場をつくるなど、旧来の慣行に制約されず、先端分野に挑戦しうるシステムを大学の内外につくることが必要である。 日本の製薬企業には医学部出身者は皆無に近いが、今後は、医師も狭い殻から抜け出し、創薬、食品、情報産業などの新たな場で活躍することも必要である。
先端治療開発システムや創薬リサーチセンターなど、国民福祉の立場から、科学性と倫理性に基づき、医学博士と理学博士が対等にオープンな環境で先端医学に挑戦する場を築かねばならない。 選択の複線化と産学連携による先端研究ハイウェイいま緊急に必要なのは、このような従来型と新しい独立型システムの「複線化」である。
多様な選択を可能にする体制をつくることは何も生命科学に限られない。 個人の自由な発想と行動を基礎に置いた、より開放的な社会に移行することが、21世紀に日本が国際社会で活躍するための条件である。
そのためには、民(産業界、市民)、官(官僚、政治)、大学を含めたグランドデザインが必要であり、そのことは広く認識されつつある。 日本社会の最も深刻な問題は、この当然のことが容易には実現できない点である。
その一因として、指導的役割を果たす現在のリーダーが、自己の権限を失う可能性を恐れ、改革をためらうことがあげられる。 しかしその懸念は杷憂である。
いま問われていることは、現体制を破壊することではなく、規制の撤廃による複線化により、教授などこれまでの研究を担ってきた人々へのサポートと、未来を担う若手研究者の責任ある独立を同時に推進し、新たな研究環境に速やかに適応することである。 カギは、在来型を支持する人々が各分野において別のやり方、すなわち「新幹線」型で進む人の自由な選択を許すことである。
既存のリーダーは、勇気をもって自己の目先の利害を離れ、規制外で新たな試みをする個人の自由を認める必要がある。 在来線と新幹線が一定期間併存して競争すれば、その特徴と優劣は明確になり、人々はそのいずれかを選ぶことができる。
遺伝子工学のノーベル賞学者であるSf大学のP・b博士は、在来線とともに新たな新幹線を建設する方式を、革命(レボリューション)ではなく進化(エボリューション)のアプローチと呼び、学術研究で日本が国際化するために、速やかに適切な方策を取ることを呼びかけている。 これはまた、国際規格に見合う世界の研究者に開かれた場である。
もう1つの具体的な提案は、学術研究の「フリーゾーン」をつくることである。 これは、大学と企業のちょうど境界部分にあたる研究テーマを、両者の共同で進める「場」のことである。